「神の火」 高村薫 新潮文庫 ― 2006/01/16 23:59
諜報の世界から身を引き、大阪でひっそりと暮らす島田は、郷里で幼なじみの日野と日本名を名乗るスラブ系の謎の青年と出会う。原発に強い興味を持つその青年と島田の周囲には、身を引いたはずの諜報の世界からの謀略の糸が十重二十重に張り巡らされていた。何本もの糸が切れ、罠と欺瞞が錯綜する中、原発の襲撃計画が息づき始める。
この本は私の最初の高村作品です。当時、あまり本など読まなかったのですが、ほんの暇つぶしを買うつもりで本屋へ行きました。その時は、一度別の本を手にしていたのですが、平積みになっていたこの本の装丁に惹かれて、上下まとめて購入しました。
この作品の舞台となる大阪には、学生時代にしばらく住んでいたこともあって懐かしい地名が次々と出てきます。福島、緑地公園、肥後橋、十三と慣れ親しんだ地名が出るたびに景色まで浮かんでくるので、ちょっと始末におえない感じです。
そういうわけでなかなか冷静に読むことができない作品ですが、非常に楽しめました。サスペンスとしての構造はもちろん、登場人物や情景の描写も読ませる文章だと思います。繰り返し読むたびに、こういう文体が好きなんだなぁとつくづく感じました。
複雑な出生を持ち、一見良識があるようで屈折しまくった島田、いかにも無頼な感じの日野、ダンディな江口、そして自分ひとりだけの秘密を抱える良、などなどと人物描写が生きているように思います。そのせいか、読了後は決まって寂寥感に襲われます。
また、技術系の描写が多数出てきますが、幸い、原子力工学には疎いので、「あれ?」というところはありません。UNIXの描写で少しうーむ、と思うところはありますが、非常に瑣末に感じます。引っかかるようなことはありませんでした。
この作品の中で、本について深く印象に残る記述があります。まず、スラブ系の青年高塚良が逃亡生活の中で島田に書いた手紙の中から引用します。
「…ぼくは荷物を軽くしたいので、あまり本を買うことは出来ません。新しい本を買うためには古い本を捨てなければならないからです。…(中略)…しかし、近いうちに何とかして荷物を少し減らし、もう一冊買うつもりです。
江口も一連の問題が解決したら旅行へ行くことをほのめかして(これも所詮は気休めなのですが)、次のようにいいます。
「私はね、今、旅行カバンに詰めていく本をどれにするかで、頭はいっぱいだよ。あまりたくさんは持てないから、せいぜい十冊だ。チェーホフを一冊、フローベルを一冊、モーリヤックを一冊…」
それを受けて、自らも選び始めた島田はこう感じます。
…残された人生の伴侶にする本を数冊選ぶという行為が、いかに無謀で困難な行為であるかにあらためて気づかされ、愕然となった。
今、私が数冊選ぶとすれば、高村作品は必ず入ると思います。そして、願わくは今後多くの作家の本を読む中で、選び取ることが困難になるくらいの作品に1つでも多く出会えることを強く願います。
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