「新世界」 柳広司 角川文庫 ― 2006/12/03 23:44
閉ざされた人工の町、ロスアラモス、1945年。多くの科学者を集め、研究・開発されたものはしかし、地上に地獄をもたらす装置だった。戦勝パーティーに浮かれる町で発生した殺人事件を通して、科学者達の良心と狂気を描く。
終戦間際の核開発を行ったロスアラモスが舞台となっています。ヒロシマ、ナガサキに落とされた原爆開発にまつわる話をベースにしています。ですが、基本的にフィクションだと思われます。
こういう作品はどう読んだものか困りますね。中途半端にフィクションなので、いちいちどこまでノンフィクションか考え込んでしまいます。全部フィクションと考えるには、ヒロシマ、ナガサキの話題はあまりに重いですね。取り上げ方として、ちょっとどうかな、という気がします。
で、まぁ、フィクションとして捉えた場合、事件自体はびっくりするようなどんでん返しもないですし、とりたててすごい、とは感じないですね。ロスアラモスという場所の特殊性、科学者達の正気と狂気が入り混じった描写などがそれなりの雰囲気を出していると思いますが、そのあたりが読みどころですね。
しかし、読んで感じる部分があるのは、ヒロシマ、ナガサキという現実と、その後の核兵器による冷戦などの史実、ノンフィクションを通してである、と思えます。その原点ともいえるロスアラモスでの核開発に関する史実に、フィクションを混ぜて、そうしたノンフィクションの構造を背景に見せる、というやり方をするなら、もっとフィクションの部分を強くすべきじゃないかな、と思います。話全体がノンフィクションの部分に寄りかかりすぎのように感じました。単に私がノンフィクションの部分に過剰に感じすぎなのかもしれませんが。
「ヨリックの饗宴」 五條瑛 文春文庫 ― 2006/12/13 23:39
自らの家族を虐待した上、実の息子の足を砕き失踪した兄栄一宛に舞い込んだFAX。そして、兄を探せという謎の女の出現。甥の裕之、姪のゆかりへの負い目に言い訳をするように兄を探し始める和久田は、政治家達の陰謀に巻き込まれていく。
初の「や行」タイトルです。めでたい。内容は、残念な感じでした。私としては、熱氷に続いてやっちゃった感じです。
謀略、諜報小説の典型的な形式のひとつに、
- 主人公は謀略のタマネギをふとしたきっかけで手にする。
- 中に真実があると教えられがんばって皮をむく。
- むいていると目にしみて涙が出たり、タマネギが硬くて爪の間から出血したりで大変だがなんとかすべ皮をむき終える。
- しかし、中には真実はなく空っぽ。
- したり顔で仕掛け人が現れて、「中身に意味はない。そのむいてもむいても皮がある、というのが隠さねばならない真実だったのだ。」という。
- 仕掛け人は後ろ手に真実のジャガイモを持っている。
ともあれ、この手の小説が面白いかどうかは、この謀略のタマネギと真実のジャガイモの関係性や仕掛けが優れているか、皮をむいている過程のドラマの描き方がうまいか、にかかっていると思います。両方そろえば万々歳ですが、そんな小説はあまりお目にかかりません。
まず、この話はタマネギの構造の方は私にはちょっと納得できませんでした。それが最善の方法とは思えないです。他にもいろいろあるだろ、と。でドラマの方ですが、どう読んでもしっくりこない。理由が良く分からなかったんですが、どうも、主人公の兄、和久田栄一のキャラクターが私の中で消化できなかったのが理由のようです。
二面性のある人間、というのは時々いるんですが、こういうタイプの人はあまり聞いたことがないですし、その行動がどうにも不条理な感じがして私の中でキャラが立ち上がらないんですね。残念。
「時の渚」 笹本稜平 文春文庫 ― 2006/12/23 16:41
「息子を捜して欲しい・・・」 ホスピスでわずかな余命を数える老人松浦から35年前に捨てた子の捜索を依頼された探偵茜沢は、その赤ん坊を預けたという女性を捜し始める。時の流れの中で風化しかけたその女性の数奇な半生はやがて、茜沢自身の家族を轢殺した男の人生と交わる。茜沢は、松浦は、人生のツケにカタをつけることが出来るか。
第18回(2001年)サントリーミステリー大賞受賞作です。ハードボイルド探偵物ミステリといったところでしょうか。出だしで、マッチョな雰囲気が出ていますが、マッチョなバイオレンスシーンは少ないです。そういうところに好感が持てました。また、文章もうまいですね。雰囲気があり、読ませる文章だと思いました。
主人公は35年の年月を経た探し物をするわけですが、調査の中でだんだんと材料が集まり、真実へ近づいていく過程が面白いですね。もちろん、現実には、こんなにとんとん拍子に調べがつくことはないと思いますがそのあたりは気になりませんでした。強いてあげるとすれば、世間の人々は、探偵、と名刺にすってある人間にそんなに好意的だろうか、という気はしました。ま、その辺は茜沢の人物が良かったと思うことにしましょう。
気になったことを書きますが、ネタバレになるので抽象的な表現にします。事実は小説より奇なり、と言いますが、これは当たり前だと思います。あまりにも現実から乖離した小説を書いてしまうと、急に作り物めいてしまうわけで、通常、読者が納得できる蓋然性の範囲でしか話は作れないと思います。そういう意味でこの小説は私の納得できる蓋然性の範囲からはかなり逸脱しているように思います。
ドラマや映画はその世界観を映像の形で見せてくれるわけで、こちらで構築する部分はそれほど大きくないと思います。なので、多少ぶっ飛んだ内容でもそれなりに納得できたりします。一方、小説は文字だけですので、世界観のかなりの部分を読者が構築する必要があると思います。少なくとも私は読書の中で自分なりの世界観を構築するわけですが、それがうまくいかない作品はネガティブに判断しています。
文章自体は嫌いなタイプではないので、他の作品も読んでみようかと思うのですが、冒険、謀略小説なんですよね。こういうのはぶっ飛んだ設定になりがちで、ちょっと読むのに勇気が要るなぁ。
最近のコメント