代表監督の仕事って? ― 2006/06/07 22:50
木村氏のコラムは経済オンチな私にとって結構勉強になるので愛読しています。が、ちょっと気になる記事があったので多少時期を逸してますが反論を。元記事はこちら。 トルシエとジーコの比較なんですが、ちょっとどうかなーと思う点だけ拾ってみます。
トルシェは「まずフラットスリーありき」だった。自らの戦略に固執し、それに当てはまらないと、中村俊輔ですら代表から外された。
全般にトルシェ(トルシエ?トゥーシェ?カナ表記むつかし)に対してはネガティブな論調なんですが、決まりごとを徹底して組織で戦うという方法は、ほとんどの選手が1対1で勝てない当時の(今もか)日本代表において比較的合理的な方法だったのではないかと思います。
代表選手が監督から一々「ああだ、こうだ」と指示されているようでは、先が見えている。
これは同意です。そこに甘んじているようでは先はないんですが、そうならないためには海外の強豪選手に対して、最低1対1で互角である必要があります。で、おそらく、そういう個人のスキルをつけさせるのは代表ではなく、所属クラブの監督でしょう。私は、個人が育つ、育たないという問題はA代表に限って言えば、代表監督とはそれほど関係ないのではないかと思っています。
霞ヶ関がジーコに変わったと思ったら、陰湿なトルシェの雰囲気が忍び寄っている。
ちょっと例えが扇動的で強引なように思います。コメントに値しません。
それでは、世の中を改革するストライカーは生まれない。・・・<中略>・・・トルシェ学校の優等生では世界に通用しない。実際、W杯で得点したフォワードは中山と鈴木だけ。
ここのところも論拠がつかめません。フォワードが点取れないチームはそんなにダメなのでしょうか?
ちなみに、フォワードが点が取れないのはストライカーの能力不足のせいだけではありません。全員の能力が劣るからフォワードでさえも守備をしなければならない、アーリークロスのようなロングパスの速さ、精度が低いなどなどいろいろ理由があると思います。トルシェはそれに対してフラット3で最終ラインを高く保つことによってできるだけ高い位置でボールを奪う、という戦術を取ったのだと思います。是非はともかく、ひとつの解ですね。また、繰り返しになりますが、トルシェやジーコは個人を育てたりしません。育った選手を選出する立場だと思います。
ジーコがどういう戦略、戦術をもっているのか良くわからないですが、個人の能力、選手の自主性を重んじているらしい、というのは漏れ聞こえてきます。そういう意味では2002年のときより高い目標が掲げられているのかもしれません。木村氏のいうとおり、それは歓迎されるべきことでしょう。ですが、組織的な決まりごとにもたれかかるようなやり方へ戻るべきではない、という気持ちはありますが、組織で戦う、という方向性自体を否定すべきではないと思います。私は、世間でこき下ろされているほどトルシェは悪い監督ではなかったと思っています。
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